プロキックボクサー 喜多村誠

プロキックボクサー

名前:喜多村 誠
フリガナ:キタムラ マコト
生年月日:1980年7月22日
【経歴】
九州産業大学付属九州産業高等学校にて空手を始め、その後九州産業大学卒業まで7年間に渡り空手を続ける。高等学校・大学ともに空手の強豪校であり、大学では主将を務めた。
大学卒業後、福岡にてキックボクシングを始める。
福岡でキックボクサーとして活動する傍ら、度々東京にてキックボクシングの試合を観戦・研究し、そのレベルの高さを実感するとともに、東京におけるプロとしてのチャンスの多さを確信して、上京を決意。
上京後、伊原道場に入門。
2005年7月17日
「新日本キックボクシング協会 Departure」にてデビュー。長曽我部雅昭を相手に、2R判定(3-0)にて勝利を収める。
2010年5月16日
「新日本キックボクシング協会 FINAL 武田幸三引退記念興行」にて、ダブルメインイベントとして、初のタイトルマッチを行う。相手は、前年王者となった宮本武勇志(治政館)。5R判定0-1のドローとなり、タイトル獲得ならず。
2011年5月15日
「新日本キックボクシング協会 BRAVE HEARTS 16」にて、二度目のタイトルマッチ。王者・宮本武勇志を相手に、偶然のバッティングによるドクターストップで、ノーコンテストとなる。
2011年10月2日
「新日本キックボクシング協会 MAGNUM 27」にて、三度目のタイトルマッチ。王者・宮本武勇志とは6度目の対戦となった。流血を伴う激しい打ち合いの末、3R 1分43秒、宮本への二度目のドクターチェックの結果、ドクターストップがかかりTKO。タイトル奪取に成功した。
2012年12月26日
我が国のプロスポーツ界の健全な発展、ならびに振興に寄与することを目的として制定されている「内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞」において、「2012年度・功労賞」を受賞。 2013年7月21日
「新日本キックボクシング協会 MAGNUM 32」にて、初の防衛戦。前王者の宮本武勇志と対戦予定であったが、宮本の負傷欠場に伴い、日本ミドル級4位の今野明(市原)との対戦となった。1R、二度のダウンを奪う。3R、顔面前蹴りからのパンチ連打で追い込み、ヒジを混ぜた攻撃に今野は額をカット。残り5秒でドクターストップ。初防衛に成功した。
2015年3月15日
「新日本キックボクシング協会 MAGNUM37(後楽園ホール)」にて、ラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級ランキングマッチを行い、タイのペットーン・キャリーボーイに3-0の判定勝ちをおさめた。
2015年4月
ラジャダムナンスタジアム スーパーウェルター級のランキング8位となる。
2015年4月19日
後楽園ホールにて行われた新日本キックボクシング協会 「TITANS NEOS 17」にて、2015年5月24日にタイのラジャダムナンスタジアムにて、スーパーウェルター級のタイトルマッチを行うことが伊原道場の伊原会長より発表された。
2015年5月24日
タイ国ラジャダムナンスタジアムにて行われた「スーパーウェルター級タイトルマッチ」にて、ラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級王者アウンナン・ギャットペペと対戦。5ラウンドをフルに戦い抜いたが、0-3の判定負けとなった。
2015年9月20日
日本ミドル級王者のチャンピオンベルトを返上し、階級をスーパーウェルター級に変更することを発表。この日後楽園ホールで開催された「タイタンズ ネオス 18」のリングでベルト返上式に臨み、「これからは階級をスーパーウェルター級に変更し、色々な団体のチャンピオンや有名選手達とどんどん戦っていきたいと思います」と抱負を語った。
2015年10月25日
「新日本キックボクシング協会 MAGNUM39(後楽園ホール)」にて、韓国ウェルター級1位のファン・セチョルと対戦。2ラウンド、左右のフックを放ちながら突進してくるセチョルに対して、喜多村は左ローキックを決めてダウンを奪う。立ち上がったセチョルを再び左ローでダウンさせたところで、レフェリーがKOを宣告した。
2017年7月2日
新日本キックボクシング協会「MAGNUM 44(後楽園ホール)」に参戦。対戦相手のイッキュウサンの戦績は、53戦39勝(6KO)12敗2分。1R、右ロー主体の喜多村に対して、イッキュウサンは左ミドル合わせて距離を取る展開。2Rには、喜多村が右ハイをクリーンヒットさせパンチ連打で追い込むが、イッキュウサンは右ミドルを返しながら耐える。3R、パンチ勝負の喜多村。イッキュウサンは首相撲を仕掛けるが、喜多村は強打のパンチ連打で最後まで攻め続け、3−0の判定勝ちを収めた。なお、この試合前には喜多村の所属する伊原道場新潟支部での映像を中心とした「煽りVTR」が披露された。
2017年10月22日
新日本キックボクシング協会「MAGNUM 45(後楽園ホール)」に参戦。1Rカら喜多村はハイ、ロー、左右のミドルと蹴りを連発させる。2Rには右ストレートをクリーンヒットさせるが、相手のベッダムも左ミドルを返すなど、タフさを見せる展開。3R、喜多村はパンチの連打で追い込み、ダウンを奪ったところで、ベッダム陣営からタオルが投入され、喜多村のKO勝ちとなった。
2018年10月21日
新日本キックボクシング協会「MAGNUM 48(後楽園ホール)」にて、『ムエタイゴリラ』の異名を持つ、T-98(クロスポイント吉祥寺/REBELS-MUAYTHAIスーパーウェルター級王者)と対戦。1R、開始直後からお互いがローを蹴り合い、その後にミドルや前蹴りを繰り出すキック中心のスタートとなった。組み合う場面もなくラウンドを通して両者下がらない展開。2R、中盤にT-98の放った右ストレートがクリーンヒットすると、ここからT-98の流れとなり、喜多村はロープを背負いコーナーに詰められる苦しい展開。しかし喜多村はすぐに立て直し、防戦気味ではありながらも、ヒジを振るい反撃を開始。3R、開始直後に喜多村は、T-98の顔面への前蹴りをヒットさせる。完全に持ち直した喜多村は、左のローに加え多彩なキックを繰り出しながら、接近戦で左右のヒジを繰り出し、このラウンドはT-98が防戦気味となる。そして3R終了間際、喜多村のヒジがT-98の左頭部をカット。4R、開始8秒。喜多村が飛び込んで撃った右ヒジでT-98の左頭部から激しく出血し、ドクターチェックとなる。試合は再開されたが、その直後両者が組み合いマットに倒れた際に、T-98の傷口から再び激しい出血が起こり、レフェリーが試合をストップ。4R 0分45秒、喜多村のTKO勝利となった。
2018年3月3日
新日本キックボクシング協会「MAGNUM 49(後楽園ホール)」にて、打撃武道我円所属の中川達彦と対戦。左ジャブの連打で最初のダウンを奪う。その後もハイキックと肘で中川を圧倒し続け、1R2分58秒 右ストレートでのKO勝利となった。

【実績】
新日本キックボクシング協会 第4代ミドル級チャンピオン
内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞 2012年度 功労賞