「私の4years.」大嶋夏実さんの軌跡

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4years.様でリミテストがサポートする大嶋夏実さんの記事が連載されているのでご紹介致します。

 


第1章:「キラキラ」チアとの出会い 元中央大ソングリーディング部

第2章:「記憶」より「記録」に残りたかった 元中央大ソングリーディング部

第3章:アメリカ留学で意識を変え、世界一へ 元中央大ソングリーディング部

第4章:泣いて食らいついた就活、学生最後の大会へ 元中央大ソングリーディング部

第5章:いつも「今」を一番充実した瞬間に 元中央大ソングリーディング部


第1章 「キラキラ」チアとの出会い 元中央大ソングリーディング部

キラキラした高校生活にあこがれて

おそろいのピンクのジャージを着て、チームバッグを持って、授業終了のチャイムとともに練習へと向かう集団。彼女たちを見て「私もこんなにキラキラした高校生活を送りたい」と直感的に思ったのが、私とチアとの出会いでした。

9歳のころに地元・埼玉のダンススクールに通い始め、ストリートダンスをはじめとするさまざまなジャンルのクラスで、中学までは「個」としてダンスを極めていました。受験を経て、中央大学附属高校に入学。高校でもダンスを続けようと思っていたのですが、入学して早々に、「songleading」部の先輩方が朝から練習している姿、周りの人たちからの人気、キラキラに映る生活……。私は完全に心を動かされました。

1軍メンバー落ちで闘志に火がついた

とはいえ、こんな感情もつかの間。体験入部に行ってみると、やはり強豪チームなだけあって、練習はキラキラしているわけもありません。ピリッとした雰囲気と、「チーム」での演技上の統一感、精神面のトレーニングも含め、いい緊張感と厳しさが同居した練習が始まりました。チームでの活動も、上下関係のある団体へ所属するのも初めてだった私は、そんな規律の厳しさに新鮮味と愛おしさを感じ、体験入部の終盤には入部の意思を固めていました。入部後は自分の居場所ができたことがうれしくて、どんどんチアにのめり込んでいきました。

そんな喜びもつかの間。入部して間もなくのオーディションでは、1軍のメンバーに入れませんでした。私がいままでのチア人生で1度だけ、1軍のメンバーから落ちた経験です。そもそもチアは初めてだけど、人よりダンススキルには自信があったので「なんで?」と困惑しました。しかし、理由は明確。練習に臨む姿勢や考えが甘すぎたのです。困惑はすぐに闘志に変わり、バレエやダンス出身で同じ境遇にあった2軍メンバーと励まし合いながら、誰よりも先に来て、誰よりも遅くまで練習する生活が始まりました。

あの悔しい経験なくして、いまの自分は存在しないと思ってます。

学業との両立「量で勝負」と決めた

とはいえ部活動だけに熱中しているわけにもいかず、さらなる壁が立ちはだかりました。勉強です。優秀で要領のいい仲間たちに圧倒されたのを覚えています。そんな環境の中で、要領が決してよくない私は、部活動においても学業においても「量で勝負するしかない」と心に決めました。

当時実家から高校までの所要時間は2時間でしたが、誰よりも先に練習に取りかかるため、毎朝5時に起き、始発に乗り、学校に着いたらすぐに3kmのランニング。その後、講堂のガラス扉を鏡代わりにして、授業開始10分前のチャイムが鳴るまで自主練をしていました。

チームの名前を背負っていることもあり、学業面もチーム全員での連帯責任。加えて、中央大学の附属高校だったため、すべての試験が大学進学のための成績に関わってきます。「大学で法学部に進学する」と決めて附属校に入学したので、甘えを一切なくして、勉学にも取り組んでました。部活を午後9時に終え、家に帰ると殴り書きしたノートを清書して、その日のうちにクリアにする。その日にどうしてもできなかったときは、週2日あったオフの日に必ず終えるようにしていました。

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第2章 「記憶」より「記録」に残りたかった 元中央大ソングリーディング部

大学時代にスポーツに打ちこんだ方に当時を振り返っていただく連載「私の4years.」。元中央大学ソングリーディング部の大嶋夏実さん(25)の2回目は、大学生活のスタートについてです。高校でチアに打ち込み、大学ではきっぱりやめようと思っていた大嶋さんですが……。

チアは卒業しようと決めた、でも……

毎日、つらさが故に部活をやめたいと思っていた高校時代。3年生の秋ごろ、無事に中央大学法学部への進学が決定してからは、仲間と毎日一緒に練習して、チア漬けの時間を過ごしました。集大成の全国大会も過去最高の成績で終え、卒業公演ではたくさんの方々に「おつかれさま」と声をかけていただき、思い残すことのない状態で卒業しました。

大学入学後はもちろん、チアは卒業。学業に専念するとともに、新たな領域に挑戦しようと決め、たくさんのサークルの新入生歓迎会に足を運びました。それでもやはり、チアダンス部が気になってしまうのです。高校の先輩方が主となって創部した、結成5年目のチアダンスチームがありました。体育会の部ではなく、サークルです。先輩の話を聞く限りでは、「踊ることが大好きな人たち」が集まっていて、高校時代ほど厳しい上下関係もなければ、大会で上位に入るのが当たり前でもないからプレッシャーもない、とのこと。ただ私はどうしても高校時代の練習のつらさを思い出してしまったり、性格上、始めたらとことんのめりこんでしまうだろうという不安があり、なかなか踏み込めずにいました。

そんな中で私が一歩踏み込んだ理由は「1位のステージから見たあの景色が忘れられない」という思いと、やはりメンバーとコーチの存在でした。高校時代、ともに戦ったメンバーが次々とチームに入っていく中で、「たとえ練習がつらかったとしても、みんなが輝くステージに私だけいなかったら絶対に後悔する」。つまり嫉妬をしている自分が想像できたのです。余談ですが、高校に引き続き大学でも指導してくださる、尊敬してやまなかったコーチからの呼ばれ方が、高校時代は「大嶋」だったのが、大学のチームに入ると名前の「夏実」になる、ということも耳にし、「私だけその場にいなかったら悔しい!」と思ったのも理由の一つでした。

人としてもあこがれていたコーチにもっと指導していただきたい、という思いもあり、入学して新入生歓迎会が終わるころには「Garnet Girls」へ入っていました。

楽しいだけの雰囲気、徐々に物足りなく

とはいえ大変なのは入ってから。高校と違い、部活ではなかったので練習場所も用意されていない状態でした。自分たちで公営の体育館を予約し、講義が終わったあとに午後5時半~午後9時半まで4時間の練習、大会前はそれを週に5日やりました。サークルだったので学校からの補助金も微々たるもの。お金がないと練習もできなければ、ユニフォームも購入できず、大会へのエントリーもできないので、オフの日には全員がアルバイトをしていました。私の場合は土日も大学のチア以外の活動があったりしたので、6時からの早朝アルバイトに行き、講義に出て、夜の練習をして11時半に帰宅して寝る。そんな生活が続きました。

チアダンスの大会では、まだまだ新参者。チーム名も浸透していなかったため、周りのチームからの目線も高校生のときほど厳しくないように感じました。それほど悪い順位にはならないのですが、なかなか1位にはなれない。その壁はとてつもなく厚く感じました。チームに漂っていたのは「記録より記憶に残る演技をしよう」という雰囲気でした。先輩方が築きあげてくださった仲よしの雰囲気は大好きだったのですが、高校でともに戦ってきたメンバーの中では薄々「少し違うんじゃないかな」という気持ちも出始めていました。

私たちのチームでは、1年生の最後の大会前から、先輩に見守られつつ、1年生がメインとなって引っ張っていくという風土がありました。そのときが来ました。私はミーティングで思い切ってメンバーに対して口にしてみました。「私は記憶より記録に残りたい」。すると、メンバーの意見が一致しました。つまり「なんとしてでも1位をとりたい」という目標が明確になったのです。

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第3章 アメリカ留学で意識を変え、世界一へ 元中央大ソングリーディング部

大学時代にスポーツに打ちこんだ方に当時を振り返っていただく連載「私の4years.」。中央大ソングリーディング部「Garnet Girls」で活動していた大嶋夏実さん(25)の3回目は、3年生になってチアの本場・アメリカへ留学して得たもの、そしてついにつかんだタイトルについてです。

ただ順位を求めるチアになっていた

「記憶より記録に残りたい」という思いから「1位を目指そう」と決めて練習や大会に臨みましたが、なかなか1位がとれないことが続きました。
ある大会の結果発表。「第2位」と発表された直後、強く握っていたメンバーの手を離し、自分でもわかるほどに口角を下げ、まったく喜ぶこともなくうつむいていました。大会後のミーティングで、後輩から言われました。

「先輩たちは2位だとまったく喜ばないんですね」

ハッとしました。確かに思い返せば、入賞しただけで大喜びだった時期もあったにも関わらず、自分たちの代になってからは、練習の時点から「1位以外に意味はない」と思い続け、言い続けてました。チアとはいえ、競技。勝負。それでいい、と思っていたところに言われたひとこと。1位は取れなくても強くなりつつある、ただ何かが足りない。チアの本質ってなんだろう。勝つことなんだろうか。ただ順位を求めるチアってどうなんだろうか。はじめてそんな思いを抱きました。

チアの本場、アメリカへのチャレンジ

ちょうどそんな時期のことでした。アメリカでスポーツジャーナリストをされている方から連絡を頂きました。「世界最高峰のチアリーダーに興味はないか」と。当時大学2年生だった私は競技チアしか知らなかったので、当初、世界最高峰のチアリーダーが何を指しているのか、まったくイメージがわきませんでした。お話を伺ってみると、アメリカのプロフットボールのNFLや、プロバスケのNBAのチアリーダーは、ロールモデル。すなわちみんなのお手本になるような人物である、と。容姿、技術はもちろんのこと、内面が美しく、しっかりとした考え方やビジョンを持つ人でないとやっていけない、とのことでした。

確かに、勝負がしたいなら、チアでなくほかの競技でもいい。そのときの直感で、「世界最高峰のチアリーダーを肌で感じてみたい、その世界を見てみたい」と思ったのです。同時に、自身がチアに対して本当に求めるものとは何なのだろうか、そして今後どのようにチアに関わっていきたいのか、そんなことを考えるようになったタイミングでもあったので、「本場アメリカで体験してこよう」と決めました。お金もツテもすべもない。でも、何かしないといけないと思ったのです。

まずは夏の新人戦の期間、アメリカにチア留学に行きたいとチームメイトに申し出ました。部員も増え、レギュラー争いも激しくなってきた中での休部でした。だから背中を押してくれたチームメイトのためにも、何かモノにしてこようと、アメリカのチアダンスチームや大学の部のSNSアカウントを探しては「1カ月間一緒に練習させてほしい」とのメッセージを送りました。そして、短期留学の奨学金を申請、却下されるのを繰り返す怒涛の日々。準備が整ったらすぐに渡米の日となりました。

トップレベルのチアに圧倒されて

限られた1カ月の滞在期間の中で私の組んだプランは、NFL観戦に加え、NFLとNBAチアリーダーたちの選抜メンバーが集まり、開催されるラスベガスでのダンスキャンプの視察。そしてNBA「Phoenix Suns Dancers」のアリゾナでのトライアウト受験でした。まずはダンスキャンプ。会場に入ったときからトップレベルのチアリーダーのオーラに圧倒され、ダンスのスキルが高いのはもちろん、チームの名前を背負うプライドや自信がひしひしと伝わってきました。

そのキャンプではプロの振付師にいくつかの振りを入れてもらい、限られた時間で自分のものにしていく、そしてチームカラーに落とし込み、さらに自分のものにしていく、かつ相手も引き立たせ、見どころをつくる。そんなさまざまな能力を肌で感じました。合間には懇親パーティーがあり、チーム同士で懇親する中でも相手チームに対する尊敬、親しみの心が垣間見え、尊い人柄にも圧倒されました。

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第4章 泣いて食らいついた就活、学生最後の大会へ 元中央大ソングリーディング部

大学時代にスポーツに打ちこんだ方に当時を振り返っていただく連載「私の4years.」。中央大学ソングリーディング部「Garnet Girls」で活動していた大嶋夏実さん(25)の4回目は、チアを引退して没頭した就職活動、そして現役復帰して臨んだ最後の全国大会についてです。

胸に刺さった後輩のひとこと

2016年春に卒業した私の年代の就活は、3年生の3月に解禁、4年生の6月が面接解禁という、おそらくここ数年では最も遅いスケジュールでした。3年生の秋ごろから、セミナーや面談も始まっていたので、少しずつ就活を始めてはいましたが、本格的にスタートしたのは世界大会からの帰国後、3年生の1月でした。チアをやりながらだと、必ずどっちもダメになる気がしていたので、「世界大会が終わったら就活に勝負をかけよう」「チアからは離れよう」と決めていました。

というのも、私も何度か面接などで練習を早退していたのですが、世界大会前のある日の練習で、後輩に言われたんです。
「先輩たちは就活で練習を抜けてもレギュラーメンバーでいられていいですね」
このひとことは胸に刺さりました。これも、引退してから就活をやることに決めた一つの理由です。

自分は何をしたいのか、模索の日々

本格的に就活をスタートして、誰もがまず直面するのは「自己分析」だと思います。私は何者なのか、何をしていると力が湧いて、何が得意で何が苦手なのか……。私の場合、好奇心旺盛な性格が裏目に出てしまい、「これ」といった特定の職種を決めて就活をすることができず、よくある「絞れない」「広く浅く」というスタイルで就活に臨みました。

その当時までの自分を振り返ってみると、一貫しているのは「1番が好き」ということ。とりあえずそこだけはブレないようにしようと、さまざまな業界の「いちばん」の企業をひたすら受けました。ご縁のあった企業もあれば、なかった企業もありましたが、割とスムーズに進んでいました。ただ毎回心がモヤモヤとしていたのは「チアとはどう関わっていきたいのか」ということでした。もともとチアは好きでも、なかなかそれだけでは食べていけない職業だということは分かっていましたし、アメリカでは仕事と両立してこそチアリーダーであるという認識もあったので、チアだけで生きていこうとは思っていませんでした。

「キラキラの肩書なんて武器にならない」

そんな時期、就活マインドに火がついた出来事がありました。OG訪問を重ねる中で、私が当時所属していたGarnet Girlsの初代の先輩にお会いしたときのことです。その先輩は私が入ることになる広告代理店に勤めていらっしゃったのですが、あまり就活でつまづくこともなかった私におっしゃいました。

「日本一とか世界一とか、そんなキラキラした肩書きなんて何の武器にもならないような出来事がこれからたくさん出てくるよ、自分の売りはそれしかないの?」

それまでの人生で、立ち直れないほどの挫折という挫折を味わうこともなく、なんとなくチーム競技で割といい成績を収め、自分の嫌いな部分ともあまり向き合ってきませんでした。先輩からそう言われたときに、自分からチアを取った時に何も残らない気がして、とても悔しかったのです。歳を重ねるにつれて、あまり自分を怒ってくれる人も否定してくれる人も少なくなってきたな、と気づき、その先輩についていこうと決めました。

そこからは忙しい先輩のもとに通い詰めました。就活について相談をすると、毎度自分の足りない部分を指摘してくださり、そのたびに家に帰っては泣いて、また出直す日々が続きました。でもどんなに忙しくても絶対に時間を作ってくれ、本気で怒ってくれた先輩の姿に、「先輩を超えたい」「人のことを自分ごととして本気で考えられる人になりたい」と思ったのです。こうして6月ごろからは時に涙を流しながら、歯をくいしばりながら、濃い2カ月を過ごしました。

自分がパフォーマーでいること以外で、私に力が湧いてくる瞬間っていつだろう、夢中になれることってなんだろう、と考えました。私の場合は何か目標に向かってがむしゃらになる瞬間が大好き、一丸となる空間がたまらなく好きなんだ、と気づきました。ただ「1番が好き」という理由だけではなく、本当にやりたいことに対して素直になって就活を進め、最終的には8月末にすべて終え、広告代理店に就職を決めました。

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第5章 いつも「今」を一番充実した瞬間に 元中央大ソングリーディング部

大学時代にスポーツに打ちこんだ方に当時を振り返っていただく連載「私の4years.」。中央大学ソングリーディング部「Garnet Girls」で活動していた大嶋夏実さん(25)の最終回は、大学を卒業してからのチアとの関わりについてです。

仕事で忙しくても、トレーニングだけは続けた

就活、現役引退を経て、広告代理店に就職。1カ月間の研修を終えた後、大阪に配属されました。縁もゆかりもなく、誰も知り合いがいない地に放り出された感覚で、当初は本当に心細かったのを覚えています。社会人になった自分、生活環境、関わる人、そして仕事。すべてが分からないことだらけの中で、チアのチの字も口にできないほど困惑していた記憶があります。ただ私は本当に恵まれ、上司に「まず新たな土地に慣れるところからでいい」「仕事も大事だけど趣味を大事にすること」という言葉を、日ごろからかけていただけました。

平日は仕事で精一杯だったので、特定のチアチームには所属していませんでした。しかしどんなに忙しくても自分を見失わないようにしようと、トレーニングを欠かさず、チアやダンスのレッスンには細々と通っていました。そんな社会人1年目は仕事も人間関係にもとにかく必死。たくさんの出会いに恵まれながら、チアを趣味の領域として過ごしているうちに、あっというまに月日が経ちました。

社会人2年目になり、少し休を自分のために使う余裕が出てきて、少しずつチアに関わりたいという気持ちが大きくなっていきました。秋ごろになって、かつて舞台をご一緒させていただいた方が、大阪でスポーツチームのチアディレクターをされていて連絡してみたところ、チームマネージャーとして練習にも参加させていただけることになりました。平日は一日中仕事、休日に仕事が入ってくることも多かったので、メンバーとしては活動できません。しかしレベルの高いチアリーダーの中で練習、時に試合のサポートをさせていただけたことで、より充実した日々を過ごすことができました。

「まだまだプレイヤーでいたい」と燃え上がる心

半年ほど経ったとき、とあるトライアウトの募集要綱に心を動かされました。そこには「日本代表チアリーダー」の文字が。活動場所は関東なので応募資格にも「関東在住者」とありました。そう、当時の私には応募資格もなかったわけですが、それでも「やらなきゃ絶対に後悔する」と思い、即座にトライアウトに応募しました。フィールドで輝くチアリーダーを近くで見ていたこともあり、「まだまだプレイヤーでいたい」と心から思ったのです。

社会人になって、趣味は趣味でなくてはならない気がして、本当はやりたいことを口にするのを恐れていたのですが、このときばかりは声を大にして伝えました。背筋がピンと伸びるような「日本代表」の肩書き。トライアウトでは「関西からでも絶対に通ってみせる、成長したい」という熱を伝え、無事合格。ほぼ2年のブランクを経て現役復帰を果たし、仕事とチアを両立する日々が始まりました。

超多忙の中でミス・インターナショナルへの挑戦

社会人3年目になり、練習、試合の度に大阪と東京を往復する日々。仕事終わらない日は金曜日の夜行バスに乗って東京へ。日曜日の夜に試合があると月曜最初のフライトで帰阪し、そのまま出社。疲労がなかったわけでははないのですが、両立生活を始めてからはさらなる自覚が芽生え、仕事にもいっそう力が入るようになりました。

そのころ、私がまたもや心を動かされた出来事がありました。それは「ミス・インターナショナル日本大会」でした。私は自分が応募できる上限の年齢であることを知り、これもまた「やらなきゃ後悔するな」と思ったのです。書類審査が通り、ファイナリストに残ったころに、会社で東京への異動の内示がでました。いろいろなことが重なり、コンテストは辞退しようと思っていたのですが、ファイナリストにはその道に進むことを希望されている方が多く、それなら私は仕事と両立する姿を見せたいと思い直しました。

ミス・インターナショナルの選考は、まさに日本女性の美の祭典。モデルを目指す人、学生などに加え、フルタイムで働く女性がいるというのも本来コンテストのあるべき形だと感じ、自分の中に更なるエンジンがかかりました。転勤、日本代表チア、コンテスト、そして会社のチアチーム。心身ともに追い込まれた3カ月を過ごしました。もちろん仕事がメイン、空いた時間でダンス練習、トレーニング、ウォーキング練習。日ごろの体型管理を、時には泣きながらこなして突っ走りました。

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